自慢できることは何もないのですが、私のことを少し書いてみます。


 生まれたのは、九州の片田舎です。
田舎ではあったのですが、デパートのある商店街の並びの店舗が父の実家でした。
なので、遊び相手は、ご近所の商店の子供たちで、男の子が多かったのです。
みんなを「子分」にしていたと、今でも叔父たちにからかわれますが、本人は、お馬になってくれるので、みんな優しいお友達だと思っていました。
少し大きくなると、男の子たちと野山を駆け回るのが楽しくて、自分では触れませんでしたが、カエルや昆虫などを捕まえて遊ぶ友人たちを見ていました。

 小学校に入って2年が過ぎようとした頃、父の転勤で関西に移ってからは、街の暮らしに馴染むのに時間がかかりました。
特に好きな街は、神戸の石畳の町、元町商店街と明石の魚の棚辺りで、須磨海岸の近く、ポートアイランドにも住んでいました。
香りというものは、思い出と共に心を温めてくれる記憶になります。
今でも、「潮の香」を感じると神戸を思い出します。

 学生の頃に父を亡くしましたので、その頃は、モデルのアルバイトをしていました。
ファッション系でも、女性雑誌でもなく、住宅雑誌とか、ひたすら走るバイクや車の雑誌のモデルです。レースクイーンとは、程遠い仕事でした!


 それまで学んだのは、芸術系のことでしたが、厨房機器のメーカーに就職をしました。
「一般事務」の仕事だと思ったのですが、名刺を持たされて仕入れをすることになりました。
 企業の一員としてのじかくがあったのかなかったのか、よく叱られもしましたが、素敵な人のたくさんいるいい会社だったと思っています。
ただ、本人は一生懸命でしたが、難しい仕事でした。
 その後、学び直しや結婚や諸々あって、欧州で12年半を過ごしました。
これは、貴重な体験とも言えますが、常識の全く異なる世界と文化のあることを知り、その中で生きられたことは、幸運だったと思います。
そういう訳で英語と仏語は、生活のレベルの会話ができます。

 日本に帰国して、東京の伯母を頼りに横浜で暮らし始めました。
 最初にアルバイトの面接を受けたのが、マンションコンシェルジュの会社です。
 一部上場の立派な会社でしたので、東京のマンションや他の部店でも仕事をさせて頂きました。
 最終的には、管理会社の担当者と管理組合のご意向があって、横浜の部店に戻るようにという指示で帰ってきました。
 職場は同じでしたが、コンシェルジュの会社が変更になるというハプニングを経験しました。
 その後、管理会社との契約が終了し、変更になるタイミングで、管理組合の方から独立を奨励して頂き、2020年3月に独立をしました。
 気が付くと、この業界に入ってから10年を過ぎていました。
 今は、コンシェルジュ業務の傍ら、コンシェルジュサービスと接客に関するOJTのお手伝いをさせて頂いています。